成富兵庫茂安公 特設ページ

成富兵庫茂安公とは

・成富兵庫茂安(1560〜1634)(以下茂安 公)は佐賀藩(鍋島藩)の重臣で「水の神様」「治水の神様」と呼ばれている佐賀農業の礎を築いた人物です。
・茂安公は当時の肥前国、佐嘉城を治めていた 龍造寺隆信の家臣ですが、隆信の筆頭家臣であった鍋島直茂の信頼できる腹心となり、直茂より一 字うけたまわり成富兵庫茂安と名乗ります。
・若き頃は武芸に秀で、佐賀藩藩祖・鍋島直茂公の下で豊臣秀吉との外交を担当するなど佐賀藩を支える重臣となります。
・佐賀藩の農業発展と治水・利水に大きな貢献をした事から、後に「水の神様」と呼ばれるようになり、明治時代にはその内政手腕が大きく再評価され、明治44年、政府より「河川功労者」として「従四位(じゅしい)」を叙勲されました。

|キャラクター解説|

成富兵庫茂安公キャラクタービジュアル紹介

「水の神様 成富兵庫茂安公」
佐賀県三養基郡みやき町の白石神社にて、水の神様として祀られている成富兵庫茂安公を分かりやすく、親しみやすくビジュアル化したキャラクターです。茂安公は、当時仕えていた鍋島家を主君として仰ぎ、徹底して主家と佐賀のために尽くした人物でした。そのため、その偉大な功績にも関わらず肖像画を残すことさえ拒否したと言われており、当時の姿を直接描いたものは存在していません。キャラクターデザインを行うにあたっては、当時のエピソードや資料から想像と議論を重ね、若い頃の荒々しいイメージとは違った、主君と民を想う、凛々しくも優しげな人物として描きました。

「龍造寺家武将・若き侍大将 成富兵庫茂安」
成富兵庫茂安公は、その人生の後半における内政家、土木・治水・利水技術者としての手腕や民を想う穏やかな姿に反して、若い頃は血気盛んで、猛将として名を知られた侍大将でもありました。そのビジュアル化に際しては、背が高く体格も良かったとされる資料などから、自信家で少々生意気にも見える若者の姿をイメージしました。纏っている鎧は、加藤清正公より危機を救った感謝として贈られ、今も佐賀市の「公益財団法人鍋島報効会 徴古館」に現存する本物の鎧一式を忠実にデザインしています。

このキャラクターデザインは、「みやき町ふるさと寄付金利活用事業」と、みやき町「白石神社総代会」、特定非営利活動法人・山田の風 有志による寄付にて制作されました。現在、みやき町公認キャラクターとしての申請を行っています。当デザインに関する著作権は現在、特定非営利活動法人・山田の風とデザインを手がけた株式会社ランドレックが所有しています。ご利用に関しましては、お問い合わせフォームよりお願いいたします。

|成富兵庫茂安公 紹介動画|

【水の神】成富兵庫茂安公 〜その生涯と功績〜 予告編

【水の神様】成富兵庫茂安公 〜その生涯と功績〜【前編】

【水の神様】成富兵庫茂安公 〜その生涯と功績〜【後編】
2025年4月26日18時プレミア公開!

成富兵庫茂安公に関する記事

・茂安公に関する活動をされている方、ゆかりの方からのコラム
・第一回予告:みやき町「成富兵庫茂安公 保存会」代表、藤永様

更 新 履 歴

  • 2025-04-10 成富兵庫茂安公 特設ページ 開設
  • 2025-04-18 動画公開【水の神様】成富兵庫茂安公 〜その生涯と功績〜【前編】
  • 2025-04-26 動画公開【水の神様】成富兵庫茂安公 〜その生涯と功績〜【後編】

リンク